AKIKO KOGA

古賀 亜希子

夢のある部屋

【文/古賀 亜希子】

大事な友人が亡くなった。友人は、出会った頃は、東京綜合写真専門学校の校長をしていた。当時、偶然同じ街に住んで、故郷も同じであることから、最初から友達のように接してくれていた。近所でのお茶によく誘ってくれた。

その後友人は、熱海へ引っ越して行った。2016年の誕生日に、フランス・パリで倒れて、静養生活に入った。それからは、時々熱海の友人の部屋を訪れるようになった。

熱海では、お茶をのみ、話をした。もっぱら、写真のことばかり。今度こういう作品を作るんだとか、どんな展覧会に行ったとか、私が日々の活動を報告した。自由に歩けなくなった友人は、いつも楽しそうに聞いてくれた。繊細で気難しいところがあるので、私は常に言葉を選んで接していた。友人も同じように私のことを見ていて、用心していた。

そして、常に私に必要な情報を与えてくれた。私がポートフォリオ「Justine」(2025年4月に完成し、Wada Fine Artsから発行)を作ると言えば、瑛九のポートフォリオ「フォトデッサン」(1979年)や高松次郎の版画集「水仙月の四日」(1984年)を注文していて、さりげなく見せてくれた。私が展覧会「刺繍の物語」(Steps Gallery 2023年)を企画していると知れば、作りかけのカタログを見て、杉本博司の展覧会「本歌取り 東下り」(渋谷区立松濤美術館 2023年)のカタログを買ってきてほしいと言った。最後まで、教育者だった。

友人は、いつも自由だった。そして部屋にあるたくさんの宝物を見せてくれた。そこから生まれたアイディアもたくさんあった。

その一つが、本棚だった。ある日、私が本棚を眺めていたら、友人が突然「あげるよ」と言って私を驚かせた。本棚も、中身の本も、全て。その自由な発想がおもしろくて、私は本棚を作品として、鳥取県倉吉市の通称「木工所」に運ぶことを提案した。ここは、現代美術コレクター、N氏のコレクション「Aコレクション」の倉庫で、数多くの現代美術作品と書籍が収蔵されている。友人も、N氏も賛成してくれた。友人は、写真家の森田衣起氏に搬送をお願いしていた。直後に森田氏が入院をされたので、どのように運び出すかを考えていた。ただ、本棚の存在は大きく、部屋から消えてしまうと、友人も消えていくかのように感じたので、私は意図して運び出さなかった。部屋にあるもの全てが、晩年の友人を支えていた。

そんな友人は、私が2025年1月21日に部屋を訪れたら、息を引き取っていた。きっと最後まで、いつもと変わらずに私の訪問を待ってくれていたのだろう。

本棚は、「谷口雅の本棚」として、「木工所」で2025年5月に開催される展覧会「倉吉とセルビア」で展示し、そのまま保管することが決まった。展覧会のチラシには、友人の希望で名前は掲載していない。

友人と私の約束が、こうしてようやく叶えられた。友人の意思を尊重してくださったご遺族とN氏に、心から感謝したい。

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